From con
予告→http://hyogotsucool.seesaa.net/article/138839112.html
より遅れましたが、先週金曜日の晩、明石焼きを食べに
明石駅徒歩数分の某お好み焼き店にでかけました。
連れは、にくてんの時
→http://hyogotsucool.seesaa.net/article/127639475.html
にお世話になった、生粋の高砂人N君です。
あまりB級ご当地グルメには詳しくない私ですが、
実は明石焼き、特に今回訪れたお好み焼き店とは深い付き合い?です。
といいますのも、このお好み焼き店に初めて行ったのが小学生の時、
(何年生だったかは憶えていませんが)かれこれ25年以上のつきあい。
父が旅芸人で国内各地を転々としていたので
しばしば行っていたというわけではありませんが、
明石近郊の農村集落にある父の実家に帰省するたびに行っていたので、
まあ、深い付き合いということにしておいて下さい。
その私を連れてきた父は明石の営業所で勤めていた
20歳前後によく来ていたらしいですから、45年以上の付き合いです。
それもそのはず、このお店はホームページによれば
1954年にオープンとのこと(今回はじめて知りました)
閑話休題。
さっそく、明石焼き、豚玉、やきそばを頼みます。
まず、お好み焼きと焼きそばの材料が出されます。
実はこの店はお好み焼きも最高なのです!
生地が独特でもっちりとやわらかく。
こんなふうに↓ 自分で焼きます。

自分で焼くのは、他のお好み焼き屋にほとんど行ったことのない
私にとっては当たり前だったのですが、
生粋の高砂人N君は自分で焼く店には余り行ったことがない、と。
現に今回も「焼いてもらえませんか」と店のおばさんに頼む人が何組か。
以前はそんな人、あまり見ませんでしたが、平日の夜にもかかわらず、
観光客でしょうか?
おばさんも「忙しかったらできませんが」と言いながら焼いてました。
お好み焼きは自分で焼くものと思っていた
にわかB級ご当地グルメ研究家?には興味深い現象です。
以前、駄菓子屋は粉モンのゆりかご、みたいなことを書きましたが、
→http://hyogotsucool.seesaa.net/article/132558385.html
熊谷真菜『たこやき』(講談社文庫)を読んでいると、
古くはお好み焼き同様の粉もの系の食べ物は駄菓子屋で材料が渡されて、
遊びもかねて子供たちがつくって食べていたそうな。
大森貝塚で有名なモース(明治10年来日)も
そんな風景をスケッチしているとか(同書77頁)。
子供たちが駄菓子屋の軒先で遊びに焼いて食べていた駄菓子が、
やがてちゃんとした店で
大人たちも自分でつくって食べる楽しむB級ご当地グルメになって、
そして今はご当地以外でも広く食べられる
ちゃんとした専門職?の人に焼いてもらう料理になった?
……なんてことを想像すると、
少なくともお好み焼きやもんじゃ焼きについては
駄菓子的な食べ物→B級ご当地グルメ→広く食べられる一般的な料理
といった進化があるのかな、などと考えます。思いつきですが。
この店では、もちろん焼きそばも自分で焼きます。
やきそばにはだし汁をかけますが、このだし汁がミソです。
やきそば↓
以前、この店について書いたブログで
焼きそばを自分で焼くのが意外、
そのようなことを書いたブログ記事を読みましたが、
(記憶曖昧ですいません)
時代が変わるとともに、
その食べ物をとりまく人々の意識やあり方も移りゆく、
そんなところでしょうか?
では、気になる明石焼きは次回で。(つづく)