2010年02月10日

にくてんにまつわる想い出(2)

from con

1/30に玉子焼きの調査に行くとか言ってましたが、結局行けていません。
近々行く予定です。

そのかわりというわけではないですが、玉子焼きの勉強に、ということで、
いま、そのものずばり、熊谷真菜『たこやき』講談社文庫
という本を読んでいます。

その中ににくてんに関する想い出を見つけましたので、
長くなりますが、ご紹介します。

大正12年生まれ、小野政種さん
(明石の樽屋町で度量衡店経営)のお話だそうです。

「小学生のころは、「にくてん焼き」がはやってて、
あちこちの駄菓子屋でおばあさんが二銭で売っていました。
鉄板の上で、広島のお好み焼き風に薄くメリケン粉ひいて、
そこにタコやこんにゃく、ねぎなんかの細かくきざんだのや桜えび、
すじ肉のかすのようなのや天かすをのせて、
そこにまた溶き汁をかけてうらがえしたものですね。
焼けると新聞紙にのせて、ソースを刷毛でぬってくれる。
それをはがしながら食べるのもおもしろかったです。
こづかいが1日1銭で、半銭が通用するところもありました。
1日倹約して、きょうはにくてんにしようかいな、という感じで買いにいくんです。」(同書37頁)

大正12年生まれの人が小学生といいますから、
もちろん、戦前。昭和ひとけた、もしかすると10年とか、そのへんでしょうか?

それにしても意外なのが、戦前に小学生でもこづかいをもらって
にくてんを買ったりしていることです。

私の母は広島の内陸部出身で、戦後生まれですが、
街には殆ど出たことが無く、高校時代に親戚に連れられて
街の食堂でうどんを食べたときに
「世の中にはこんなにうまいもんがあるのか」と感激したそうな。
ジャガイモがとれたら毎日ジャガイモ、そんな生活だったらしい母は、
B級ご当地グルメとは無縁だったと思います。
やはりそのへんが明石の街中のような都会と
広島の内陸部のような田舎との違いでしょうか・・・・・

当たり前といえば当たり前ですが、
室蘭や久留米の焼き鳥、栃木の佐野ラーメン、
そして長田のそばめし・お好み焼きなども
工場労働者と結びついていますし、
B級ご当地グルメとはやはり都市化・工業化の所産ですね。

posted by CON at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 高砂・にくてん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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